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2016年12月27日火曜日

PCBMミーティング

関義元です。

年を越す前に何か書こう、と思ったら、塩漬けになった、下記のテキストが出てきました。
今日は、とありますから、その日のうちに投稿しようと思って、3か月漬け込まれたテキストです。

最近は、こういうのをみつけたときに、反省しても、自己嫌悪に陥らなくなってきたところが(笑)、自分成長したな、と思えます(汗)。

2016年9月17日の記事と思って読んでください。ほとんど、講演のメモ書きですが、どうぞ。

-----ここから、塩漬けテキスト。夏です(笑)。

関義元です。

今日は、PCBMサマーミーティングという集まりに参加しました。福島県楢葉町での開催です。

初めてお会いした方、十数年ぶりにお会いした方、などがいらっしゃいました。医療従事者を中心とした集まりで、災害、福島、熊本などについて話を聞きました。


楢葉町の保健師さんからは、震災後には、他都道府県から保健師のサポートがなかったこと、平成27年に避難指示解除され、徐々に帰町される住民が増えてきているが、高齢化率が5年で5%上昇し、人口も減っていること、などの現状が報告されました。
浜通りには保健師さんもDMATも急性期にサポートに入っていない、「それが原発事故なのかな、と思う」というコメントが印象的でした。
逃げられない方たちをサポートする方法もない、というのは、今も同じなのではないか、と思います。国道6号線わきに積み上げられた残土をみるたびに、原発によってコミュニティーを壊された人々、という現実がリアルに感じられます。

南相馬市の医師からは、脳卒中後の患者さんが、介護施設が不足しているために、逆に自宅退院が増えていて、介護者の負担が増えすぎている、という問題、南相馬市立総合病院の震災後の状況、避難と放射線のどちらのリスクが高かったか、震災後、犬咬傷・蜂刺傷(除染作業員 Decontamination Workers; DWsに死亡事故があった)が増えた、等のリアルなお話がありました。ミーティング後、多くの医学論文を英語で発表されていることなどをしり、感銘を受けました。

高野病院の事務長さんからのお話しは、震災前後でコミュニティーが全く変わってしまった、震災直後の多くの問題、精神科医のみの勤務にもかかわらず精神科以外の救急搬送を受け入れている現状、などが報告されました。

事務長さんの取り組みがまとまった本です。
https://www.amazon.co.jp/dp/4808309874

ミーティングから戻ってきてから、実は、当院で高野病院からの患者さんを受け入れていたこと、私もいわきに迎えに行っていたこと、などを知り(思い出し)ました。

福島県立医大の谷川先生からは、原発事故の健康影響について、双葉地区の医療課題、ふたば救急総合医療支援センターの取り組み(楢葉消防への救急医駐在・往診体制の整備)、ふたば医療センター(仮)構想、などをお聞きしました。


中途半端なところで、会を後にしましたが、私自身にとっても、東日本大震災を振り返る、良い機会となりました。

これからも、自分が支えられる立場に立つことを「ありありと想像しながら」、無理のない範囲で、福島を支え、そして、自分自身も支えられていきたい、と思いました。

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